県・市指定文化財


『金丸宝篋印塔』


県指定有形文化財

 <所在地>

金丸字平の大徳庵跡 

 

<指定年月日>

昭和53年3月31日

 

 塔身の高さは32センチ、四面には金剛界四仏の種子ウーン(阿閃)、タラーク(宝生)キリーク(弥陀)アーク(不空成就)がそれぞれ薬研彫りされている。

 笠の四面には、三字ずつ紀年銘が陰刻されている。


『不動明王立像』


市指定文化財

<所在地>   

日足175 地蔵院

  

<指定年月日> 

昭和50年3月31日

 この不動明王は御許山奥の院にあったもので、明治の廃仏毀釈により地蔵院に移したと言われている。一本の杉の木で彫り出した南北朝時代頃の仏像で、全身の木目が特徴である。

 

 

     


『国東塔』


市指定文化財

<所在地>   

西屋敷 

   

<指定年月日> 

平成8年2月27日

    

 西屋敷の馬渡悟氏の裏庭には多数の五輪塔等があるが、それらは馬渡家の墓であった。時代の経過と共にお参りすることも少なくなった。それを数年前より周囲を整備して、毎年12月馬渡家四氏が先祖供養するようになった。石塔類の一基が指定文化財である。

 


史跡・神社

『船繋ぎ石』

和気清麻呂の船を繋いだ

『船繋ぎ石』

(和気945番地)

 

伸護景雲3年(769年)八幡神の「道鏡を排除すべし」の託宣を伝えた清麻呂は、道鏡によって大隅国に流された。その途中ここに船を繋いで宇佐神宮に参拝した。

『𠮷水神社』

吉水神社

(両戒字栗山574番地)

 

長元7年5月創立。

往昔三王権現と称したが、

明治初年神佛分離に依り社号

を改称した。御神体の三は、

木像彫刻にて仁聞菩薩の作と

伝えられている。

 

 

『御馬下神社』

御馬下神社

(西屋敷162番地)

 

 御祭神は宇佐八幡宮と御同体である。宇佐神宮の境外摂末社は豊前豊後の各地に 鎮座しているが、当社は最も近い位置にあり、かつ関係も深い。明治4年以後制度が改正されて氏子区域ではなくなったが、旧来の縁故をもって神幸の節は道楽灯明を奉仕する慣例となっている。なお高竈神は明治19年6月字御馬下今宮社より

合祀した。

 

『橋津神社』

橋津神社

(橋津字神ノ木350番地)

 

延文2年南北朝時代11月14日はしゅうず邑の産土神として勧請以来、鎮守のの神として崇敬してきた。明治に入り近郷に散在していた社や石祠等当神域に合祀し、大正3年5月27日社号を橋津神社と改称し、現在に至っている。当社は宇佐宮の御神幸祭や禊神事と深い関係があり、御神輿等が立寄った記録がある。

 

『貴布禰神社』

貴布禰(きふね)神社

(日足字龍岡920番地)

 

宇佐市合併前の北馬城村一村の産土神であるが、その鎮座の年月は不詳である。

伝説によると欽明天皇の時代、八幡大神が馬城嶺に出顕され、その尊光があたかも晨旭の日足に似ていたので、里名を日足とした。この社は古くは三殿であったが、正徳6年に再営された際に一殿となった。

『貴船神社』

貴船神社

(山字向376番地)

 

 不詳、明治39年9月7日許可を得て、同年9月20日大字山字山ノ下より遷座。武内宿禰・大己貴命は大字山字東山に鎮座していたが、大正3年12月26日許可を得て、大正4年3月10日本社に合祀された。     

     

『岩崎神社』

岩崎神社

(岩崎字宮ノ前1130番地)

 

 養老3年大隅・日向の隼人の反乱を鎮めるため、朝廷は宇佐神宮にその鎮定を祈念した。そこで御神霊を神輿に奉安して凶徒を悉く平定され、同7年その途路岩崎に荒霊を止められ、この地に鎮座された。その後、倉稲魂命・太田命・大宮毘売神、境内神社、は大字岩崎字国宗に鎮座していたものを明治44年3月15日、本社に合祀した。

『八坂神社』

八坂神社

(出光字五反丸)

 

 長元6年2月 宇佐神宮大宮司出光公忠が創立、その後出光氏は豊後大友氏ために滅亡した。その他は不詳。八幡大神は大字出光字竹當に鎮座していたが、明治43年11月17日許可を得て同44年7月11日本社に合祀された。

 

    

 

『柁鼻神社』

柁鼻神社

(和気柁鼻1056番地)

 

「仲哀天皇9年8、9月の頃、神功皇后この地に小社を営み伏敵柁鼻と称し給ふ云々」の記録がある。この社は神武天皇御聖蹟地の入口である宇佐郡北馬城村大字和気鎮座の宮にて、神日本磐余彦尊、彦五瀬尊、鵜草不葦合命の三神を祀る。

『六柱神社』

六柱神社

(江熊字出水ノ元737番地)

 

永正元年3月創立。倉稲魂命は明治19年4月字立道より合祀。大山祇命一柱は字田口より、一柱は字久保より明治19年6月合祀。高竈神・清寧天皇は大字江熊字吉久に鎮座、高竈神は大字江熊字亀ノ甲に鎮座していたが、明治44年5月4日本社へ合併した。

『金丸神社』

金丸神社

(金丸字片目田442番地)

 

 元々年の神と称し字水谷に鎮座していたが、明治4年字楡木に遷座。天照大神は明治19年4月字下山より、倉稲魂命は同年6月千能より合祀した。土地は僻陬、社地は狭隘のため明治19年11月大字金丸字表に遷座、その後大正10年10月31日字名が表から片目田と変更された。

 

     

 


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